日本のサッカー界が新たな一歩を刻んだ1993年
1993年は日本のサッカー界にとってエポックメイキングな1年となりました。日本ではそれまで国内にプロリーグを持たず、企業母体のチームによる日本サッカーリーグ(JSL)というリーグでリーグ戦を行っており、選手は所属するチームを運営する企業の社員という形で、チームによっては会社で仕事をしながら試合をこなすという状況でした。
1993年にプロサッカーリーグであるJリーグが開幕し、選手たちはクラブチームに所属するプロサッカー選手となりました。設立当初は主にJSLに所属していた企業がスポンサーを務め、JSL時代の選手の多くが所属する10チームから始まりました。プロリーグの設立により人気が高まり、海外から著名選手を招くことでレベルも上がりました。
10チームで始まったJリーグは年々加盟チームを増やし、今ではJ2、J3という2部、3部のカテゴリーができるほどに成長しました。チームの増加に伴う競技人口の増大と競技レベルの向上により、日本は1998年に初めてワールドカップに出場し、以降連続で出場するなど、アジアトップレベルで、世界を相手にしても遜色のないサッカー強国へと成長を遂げました。
日本サッカー・Jリーグ百年構想
「Jリーグ百年構想 〜スポーツで、もっと、幸せな国へ。〜 」というスローガンのもと、「あなたの町に、緑の芝生におおわれた広場やスポーツ施設をつくること。」「サッカーに限らず、あなたがやりたい競技を楽しめるスポーツクラブをつくること。」「観る。する。参加する。スポーツを通して世代を超えた触れ合いの場を広げること。」を目的に1996年に設立されました。さらに、より分かりやすく「DO! ALL SPORTS」というキャッチフレーズも掲げています。
その活動は、チーム名称を他競技と共有(新潟アルビレックスBBというバスケットボールチームなど)、チーム施設の開放(浦和レッズのレッズランドなど)、スポーツ教室や大会の開催など地域に根付いたものです。もともとJリーグはドイツのスポーツ文化を見本に創立されました。
そのドイツではサッカーだけでなく様々なスポーツが日常に溶け込み、老若男女がそれぞれに合った楽しみ方をしています。日本でもそのような豊かなスポーツ文化の醸成を目指して「Jリーグ百年構想」が掲げられました。
プロ選手の歴史
日本のサッカー界ではJリーグが発足する1993年以前は、ほとんどのサッカー選手が企業チームに社員として入社してJSLで戦うアマチュア選手の扱いでした。
中には日本代表として欧州遠征中に現地関係者の目に留まりドイツの1.FCケルンと契約を結んで日本人初のプロ選手となった奥寺康彦や、高校を中退後単身ブラジルに渡り、下部組織を経て一部リーグのクラブとの契約までこぎつけた三浦知良のように、Jリーグ発足以前からプロとして活躍した選手もいましたが、それはほんの一握りでした。Jリーグができたことで日本のサッカー選手はそれ自体を職業とするプロになり、移籍に関する取り決めなど環境面も整備されたため、海外からJリーグにきて活躍する選手や、活躍の場を海外に求めて移籍する選手が数多く出てきたことで全体のレベルアップにもつながりました。
現在ではJリーグは3部リーグまであるアジアでも最大規模のサッカーリーグとして存在感を発揮しています。